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【書評】『夫のちんぽが入らない』/こだま ★★★☆☆

サブカルの友人が発売前からやたら話題にしていたので読んでみた本。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

以下、ネタバレ満載でお送りしますので注意。

〇〇で当然という幻想

『夫のちんぽが入らない』という衝撃的なタイトルと内容で、発売前からこの本は一部で大変な話題となっていた。

書店で書名を言わなくても注文できる完璧な用紙が用意されたり、はたまた「ちんぽ」と略されたり、広告に書名が載ったり載らなかったり。
この本を「私と夫」の夫婦二人が、ちんぽが入るように仲睦まじく頑張る話だと思って読んでしまうと、Amazonレビューに★1つを付けるはめになってしまう。

これは「私」の物語である。

主人公について

この本はエッセイなので、主人公に共感できるかできないかで読後の感想が決まってしまう。
少女漫画の主人公よろしく、主体的で社交的で誰からも好かれ…というのを想像しているのであれば、今すぐ回れ右した方がよい。(タイトル買いせずにちゃんと扶桑社の試し読みを読んでくれれば、齟齬は防げると思うが)
自己肯定感が低く、無知で、受動的で、人の弱さを凝縮したような主人公は読者を苛立たせる。

  • 性交により大量に出血しても婦人科に行かない
  • 明かな心身の不調・希死念慮があっても精神科に行かない
  • 問題が起きても誰にも相談せず、かつ自分で解決することもできない
  • 出会い系と知らずにブログを開設し、不特定多数の男性と流されるまま関係を持つ
  • インターネットに本名を晒して職場を特定されてしまう

など、無知による主人公の失態は枚挙にいとまがない。
現実は物語のようにはうまくいかない。
何も言わずとも理解して手を差しのべてくれる人はいないし、判断力が落ちれば社会的に間違った道にもいとも簡単に進んでしまう。

しかし、様々な怒濤の経験を得た主人公であっても、こだまさんは今生きている。生き延びている。

誰しもが持ちうる「私は普通じゃないんだ」という抑圧感を、「普通じゃなくても生きていける」という希望に変えてくれた。

主人公に共感できる人にとっては、本当によく代弁してくれたと、宝物のような本になるだろう。

夫との衝撃的な出会い

この本の冒頭の約30pはさながら青春小説のようで甘酸っぱく、きらめきに満ちている。

夫との出会いのシーンはこの本でも一番好きな描写の1つである。

動揺する私に構わず、彼は勝手に段ボール箱を開けていた。中を覗いている。ついでに冷蔵庫の上下の扉を開けて中身を物色し、断りもなくペットボトルのお茶を飲み始めた。なんて無遠慮で自由なのだ。これが大学生というものなのか。今度はリモコンを探してテレビをつけた。なんなの。なぜこんなに自由でいられるの。[...] 彼のスウェットの胸元には「No problem」と」書いてあった。どう見ても問題しか起きていない。*1

小さい頃から人と関わるのが苦手だったという著者の描写は、いつも心が「ここ」にはないように一歩引いている。
状況がすぐに飲み込めず、俯瞰し、咀嚼し、ようやく答えが出せる。
夫との出会いは主人公の人生において、奇跡のように胸の躍る出来事であった。
ちんぽが入らないということが、わかるまでは。

夫のちんぽが入らない問題

夫のちんぽが大きすぎて入らない、というのがこの本から読み取れる「入らない」問題の原因である。

二人は交際から4年、ようやく「入れる」ためにローションを使うことを試みる。
しかしこのローションというのが、性行用を用意するのは恥ずかしいという理由で、普通のボディーローションを使うことになっているのだからおかしい。

ジョンソンベビーオイル無香性のパッケージには「赤ちゃんにもお母さんにもやさしい」と書いてあるけれど、ちんぽが入らない人間にも等しくやさしくあってほしかった。ジョンソン・エンド・ジョンソンの心意気を、研究の成果を、今から私たちが試す。試してやる。*2

本人たちはいたって真剣なのだが、ジョンソン・エンド・ジョンソンという社名がこの場面で出てくるギャップに思わず笑ってしまう。

母親との確執

主人公の自己肯定感の低さが母親との関係に起因していることは、物語上明らかである。
児童虐待では?と思うほど苛烈な母親からの行為の描写は、この本を読んでいて辛い部分の多くを占める。

赤ん坊の私が大声を上げてぐずると、それに負けない勢いで母もかんしゃくを起こす。追い詰められ、陶芸家が感情に任せて壺を割るように私を床やアスファルトに叩き付けたこともあった。私の頭部は歪み、火がついたように激しく泣いたという。その話を母から聞かされるたび、私は失敗作としてこの世に生まれてきたのだと思った。壺のように粉々になってしまえたらよかった。*3

母親との幼少期の出来事は、走馬灯のように絶えず現れては主人公を苦しめる。

心が壊れたわたし

大学を卒業した主人公は、晴れて小学校教師となる。
ところが、転勤をきっかけに生徒からいじめの標的となってしまい、担当している学級は崩壊状態となってしまう。
仕事では学級崩壊に対処できない無力さ、プライベートでは夫が浮気していることを黙認しなければいけないストレス。
極限に追い詰められた主人公は、ついに見知らぬ他人とのセックスを繰り返すようになってしまう。

強引な人や日常生活に介入してくる人とは一度きりで会うのをやめた。同じ距離感を保ってくれる、どこか冷めたような人とは何度か会った。私は相手に対して恋愛感情を持たないし、向こうも私のことを都合よく扱っている。それでいいと思った。なぜこんなに気持ちが擦れてしまったのか。現実の、真面目さだけが取り得だった自分との隔たりがどんどん大きくなってゆき、もうひとつの人格のように居座っている。でも、どちらも紛れもない自分なのだ。*4

本来まじめであるはずの「私」と、耐えきれずに奔放な「私」に乗っ取られていく様はまるで今敏のアニメの中のキャラクターのようだ。 

心が壊れた大人たち

2章では出会い系で出会ったおかしなおじさんの話がたくさん出てくるが、中でも「山」に欲情するアリハラさんのエピソードが一番好きだ。

アリハラさんは、「暇だから会社の電話帳に載っている電話番号を『あ』から順番に暗記している」変な人。
著者と初めて一緒に登った山の頂上で自慰行為を始め、主人公を驚かせた。

アリハラさんに犯され、精液を放たれた山を想像する。雪が解け、新芽が萌える季節になると、各地の山頂に蒔かれたアリハラさんの種がいっせいに膨らむ。山々が競うようにしてクロネコヤマト蕎麦屋の電話番号を暗証(暗唱)し始める。やまびこが身に覚えのない数字を返してきたならば、それは彼が交わった山だ。*5

まとめ

ラース・フォン・トリアー監督の映画作品に『ドッグヴィル』というものがある。

村のよそ者として奴隷のように扱われる主人公。
2時間の映画中ずっとストレスが溜められっぱなしだが、ラストにはすかっとする展開がある。
しかし、この本のラストには特にすかっとするような展開はない。これが現実。
この本はフィクションではない。

それでも、大事なことを誰にも話せなかった主人公こだまさんが、「私も実はそうなんだ」と声を上げられたことに意義がある。
それにこだまして、「私も実はそうなんだ」と読んだ人が声を上げられることに意義がある。
この本に勇気づけられる人がたくさんいるのだろう。

*1:「夫のちんぽが入らない」(2017) こだま著 扶桑社 p.13

*2:「夫のちんぽが入らない」(2017) こだま著 扶桑社 p.59

*3:「夫のちんぽが入らない」(2017) こだま著 扶桑社 p.42

*4:「夫のちんぽが入らない」(2017) こだま著 扶桑社 p.114

*5:「夫のちんぽが入らない」(2017) こだま著 扶桑社 p.112

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